念願のたらこおにぎりを食べ、お茶を飲んだ私は、窓を通して差し込む
冬の柔らかな日差しに包まれ、いつのまにか眠りにおちてしまった。

そして目が覚めたら、唯一の休憩地点「足柄サービスエリア」に
バスは止まっていた。

運転士が「10分間休憩でーす」という森田一義のテンションで、
休憩を促し、数名の乗客がバスを降りて行く。

ふと車内の左側に目を移すと、そこにはびっくり!
「どどん!」と富士が見えた。

いや、びっくりすることはないし、当然なのだけれど、

「憧れの人に自分がグースカ寝ているところを、体育座りで
ずっと見つめられ続けていたことに、目が覚めて気が付いた気恥ずかしさ」

とでも表現すればいいのか…。

すごく嬉しくて、とてもドキドキしているのだけれど、そんな胸の鼓動に
気付かれないように、

「もーーいたなら起こしてよね!」

と頬を赤らめつつ、怒ったフリして枕でもぶつけたい乙女心というか…。
とにかく目覚めた直後の富士山との初対面はとてもドキドキした。

初めて富士山を見た私の感想は「抱きつきたい」である。

今まで数ある山を見てきたが、「抱きつきたい」と思わせた山は
富士山だけだ。
いや、実在の人物でも初対面で「抱きつきたい」と私に思わせた者は
未だかつていない。
残念ながら富士山のぶっちぎり勝利だ。

「抱きしめたい」ではない。「抱きつきたい」のである。

これは、威風堂々とそびえる姿は、まさしく偉丈夫であり、
大きく大きく広がる裾野からは圧倒的な安定感を感じるからだろうか。

とにかく「男」を感じるのだ。
「富士山」というか何ならもう「富士男さん」とでも呼びたいくらいだ。

富士男さんなら、私が遠くから全速力で駆けて行き、思いっきり抱きついたとしても、
微動だにしないに違いない。
富士男さんはそういう男なのだ。とにかく「男」なのだ。

もし、山に性別が存在し、富士山が「女」とされていたら
私は途方に暮れるだろう。
富士山は「男」であり、「雄」であり、「殿方」であり、「♂」なのだ。

「山男」ならぬ「男山」なのである。
「娘さん よく聞けよ♪ 男山にゃ 惚れるなよ♪」
なのである。(あ、しつこい?)

そんな愛しいお人に見守られ、ドキドキを抱えつつ、バスは再度
発車し、ようやく終点「河口湖駅」に到着した。

お昼の時間だったので、まずは腹ごしらえということで
念願の「ほうとう」を食べようと、駅前にある「ほうとう屋」さんに
入ることにした。

注文から15分ほど経った頃にほうとうは運ばれてきた。
大き目の鉄鍋に入れられ、グツグツ煮立っている。
とても熱そうだ。

それにしても…何でだろう。汁が黄色い。
味噌仕立てとのことだったが、カレー粉を入れたとしか
思えないくらいイエローな感じなのだ。

カレーうどんとまでは言わないけれど、カレーうどん一杯に
生クリーム一カップを入れ、クリーミーにした感じの色。
でもカレーの匂いはしない。
まぁいい。とりあえず食べてみよう。

たくさんの野菜とともに「フーフー」言いながらほうとうを口に運んでみる。

…おいしい!そしてとーーっても熱い。

でもやっぱりカレーの味は全くしない。
では一体何なのだこの黄色は。

汁の黄色さをいぶかしがりながらも、アツアツのほうとうを食べ進めて
いくと、「そうか!!」と合点がいった。

「かぼちゃ」の仕業だったのだ。

かぼちゃがデロンデロンになるまで煮込まれ、溶けたが為のこの黄色なのだ。

そう考えると、味噌仕立ての汁にかぼちゃが溶けだしていることで
コクと甘みが加えられているような気がする。
でかした、かぼちゃよ。

他の野菜は、熱々の煮えたぎる汁の中であっても決して己の
姿かたちを変形させることなく、原型をとどめているのに対し、
かぼちゃは、かぼちゃだけは、熱々の汁の中に無防備にも
その身をゆだね、溶け出すことで自らの肉体を犠牲にし、
ただひたすら味の向上に徹しているのである。

「おいら美味しくなるためだったら、いくらでも溶けてみせるよっ。
ちょっと…苦しいけどね。へへっ。」

そんなかぼちゃの健気で、悲痛な思いが伝わってくるようだ。

そうなると、他の野菜もぼやぼやしていないで、
少しはかぼちゃを見習ったらどうなのだと言いたくなる。
にんじんあたりも、少しは溶けるなりなんなりして、汁に
赤みでも甘みでも加えてみたらいいのだ。
そうしたらかぼちゃの負担も減るってなもんだ。

このようにして、かぼちゃの勇気溢れる溶けっぷりを褒め称え、
他の野菜に苦言を呈したりしながら、山梨名物「ほうとう」を
古民家風の店内で味わった。とても美味しかったし、身体も芯から
温まった。とても良い記念になった。

そして腹を満たされた私は、ほうとう屋を後にし、
河口湖駅から「河口湖周遊バス」に乗って、
パワースポットの「富士御室浅間神社」を目指した。

レトロな雰囲気の周遊バスには、見事におじいさまとおばあさま
しかいなかった。
この感じは、平日昼間に近くの健康ランドへ向かう無料シャトルバス
の車内に酷似している。
そしてとても落ち着くのだ。

あぁ、富士御室浅間神社が今をときめく、ナウい、トレンディなスポットでなくて良かった。
もしそうであったら、今この車内には若いカップルがひしめき合い、私は少なからず居心地の悪さを感じていたことだろう。 

河口湖に沿って走る車道を、バスに揺られ15分程経っただろうか。
周遊バスは富士御室浅間神社に到着した。

下車を申し出たのは私ひとりだった。
富士御室浅間神社はおじいさまおばあさま方にも、ナウく、トレンディなスポットではなかったようだ。

次回へ続く。