河口湖への旅当日。

その日は、それまでのダラダラ4日間よりも大分早起きし、
さっさと身支度を整え、家を出た。

非常に良い天気なのだけれど、風が冷たい。

万全を期してジーパンの下にはタイツとハイソックスと、毛糸のスパッツ(毛玉だらけ)
を履いてきたので、少々身動きが取れにくいが、この格好ならば河口湖に行っても大丈夫だろう。

何せ、念願の富士山を拝みに行くのだ。
絶景の富士山をのぞむ絶好の場所で、小一時間は富士山を眺め続けるつもりなので、
それに耐えうる装備でなくてはならない。

そんなぬかりない装備で、東京駅行きの電車に乗り込んだ。
しかし、朝の通勤ラッシュの上り電車では、そんなぬかりない装備が仇となって、
暑さによって息苦しくなり、ぬかりのなさすぎた厚着にさっそく後悔した。
屋内にいることを考慮して、少しはぬかってみても良かったのかもしれない。

そして、ギュウギュウの満員電車は東京駅に到着。
多くの人々がホームに吐き出されていく。
仕事場へと急ぐ人々の波に乗り、シブくも富士を目指す私(28歳・女盛り)は
バスの発着所である八重洲口に向かった。

その途中で本屋を見つけたので、まだ時間もあるし、一人旅のお供に
一冊軽い文庫本でも購入しようと、立ち寄ってみることにした。

ひととおり店内を眺めていると、
私の大好きな、日本にあるパワースポットを紹介している本を発見。
この私が手に取らないわけがない。

「もしかして・・・」。、
そう。今から行く河口湖周辺のパワースポットは紹介されていないかしらと、
もくじを見てみると・・・。
ありました。

その名も、「富士御室浅間神社」。

「ふじ みむろ あさまじんじゃ」と読んでしまったけれど、
「ふじ おむろ せんげんじんじゃ」と読むらしい。まぎらわしい。

「御室」の部分は私の無知からくる読み間違いであることは認めるけれど、
まさが「浅間」と書いて、「せんげん」と読ませるとはしてやられたり。

この神社は699年に創建されたそうで、武田信玄が、
長女の安産を祈願して書いた「安産祈願状」が奉納されている神社とのこと。

武田信玄ゆかりの神社か…。

私は仙台の人間なので、伊達政宗にかなり肩入れしているが、
そんな私が訪れてしまって良いスポットなのだろうか。

仙台人として政宗を心から尊敬しているし、
彼の生き様は最高にカッコイイと思っている。
まず、あの眼帯がしびれる。
三日月をかたどったあの兜もたまらない。
秀吉に同行しての朝鮮出兵の際、一行に奇抜な格好をさせ、
京の人々の目を引き、「だて者」といわれたというが、
実際は黒を基調としたシンプルなデザインを好んだという。

そんな人々を出し抜くような突飛な発想力に恵まれたアイディアマン
と見られる一方、その実、質実剛健。
シンプルなものを愛したその精神は、
「伊達男」という「派手好き・洒落者」を表す形容では到底おさまりきらない、
本質を見抜く力を携えた「本物の侍」として、私は彼を認識しているのだ。

世が世なら政宗が天下統一していただろうと、本気で信じちゃっている
そんな筋金入りの仙台人なのである。

そんな私がもし、武田信玄にゆかりのある神社に足を踏み入れようものなら、
その中を漂う信玄の魂みたいなもんに
私の中にある政宗への熱い忠誠心を嗅ぎ取られ、

「ええい、お主のような謀反者にはパワーなど与えてやるものか!!ヤーー!!」

といって、パワーを授けてくれないばかりか、
逆に信玄にパワーを吸い取られてしまいそうな気がする・・・。

こうなったら、この私の政宗への忠誠心をひた隠しにして潜入するしかない。

「え?政宗??あぁ、あの東北の田舎大名のことでげすね?
いやいや、信玄様のご功績に比べりゃぁ、あんな不良大名の
突飛な行動なんて足元にも及ばないってなもんでやんす。
へへっ。お、信玄のダンナ、今日も獅子噛の兜でキマってがんすね。」
と、ごますりつつヨイショの一つでもしてみればいいさ。

あぁ何ていう政宗への不忠行為。
想像しただけでも胸が痛んでしょうがない。
きっとこの胸の痛みは鎖国時代に泣く泣く踏み絵をさせられた
隠れキリシタンが感じた痛みと同様のものだろう。
私も隠れマサムネンとして隻眼の政宗の絵を踏まされるようなものだ。

でも、ここは私がマサムネンであることを察知されてはいけない。
神社にいる間はあくまでシンゲエン(語呂悪し)の体で貫きとおすのだ。

そろそろバスの時間が近づいてきたので、必要な情報はしっかりと頭に
叩き込んだので、パワースポットの本は戻して、そそくさとT・ヒトナリ氏の文庫本を
購入し、近くにあったおにぎり屋さんでたらこのおにぎりとお茶も買った。
八重洲口へと急ぐ。

八重洲南口のバス停ではもうバスが待っていた。

予約した時には満席の表示がされていたけれど、
バスに乗り込んだらガラガラだった。
私入れて10名くらいか。
「出発直前にみんな駆け込んでくるのかしら」
とも考えたが、バスの運転手はそんな駆け込み客を
待つ素振りも見せず、「出発しまーす」という
森田一義の「一旦CMでーす」を彷彿とさせるテンションで
時間ちょうどに10名余りの乗客を乗せたバスを発車させた。

あの満席表示は一体なんだったのだろう…。
「ウチは常に満員御礼でっせ」アピールか。
もしくは「富士山をなめんなよ」という釘刺しか。
そうやすやすと俺らの富士山を拝めると思ったら大間違いだぞ、という。
ちょっくら富士でも見てくっかなんていう甘っちょろい思いつき
で容易く見られるようなシロモノではないぞ、という。

ま、何でもいいや、乗れたんだし、
と気をとりなおして、車窓から外の景色に目をやる私。

本当は朝食を摂っていなかったので、すぐにでもおにぎりを頬張りたい
ところだったが、発車直後に「待ってました!」とばかりに食物に
がっつくのは何となくためらってしまう。
このためらいは何だろう。新幹線に乗る時もそうだ。
仙台駅で買った「温かくなる牛タン弁当」を前にし、今すぐにでも
温かくなる仕掛けのヒモを引っ張り、一分一秒でも早く
牛タンと麦飯のハーモニーを堪能したい衝動に駆られるのだけれど、
新幹線に乗り込んですぐ、しかもまだ発車していない状況で
徐々に温まっていく牛タン弁当の芳香をまき散らすのには
どうしても抵抗を感じてしまうのだ。

というわけで、まずは車内に乗り込んで、荷物をしかるべきところに収納し、
席に座り、「あぁ疲れたわ」みたいな疲労感、もしくは慣れ親しんだ地
との別れを前に孤愁に浸っているような雰囲気を漂わせる。

そしてとうとう列車が発車しても、ここぞとばかりにすぐに
温かくなるヒモを引っ張ってはいけない。
ヒモよりも、車窓から物悲しい顔で外を眺めては、引き続きそのおセンチな
雰囲気を引っ張るのだ。
最低でも2、3分はその状態を保持することが求められる。
「あたくし、牛の舌の弁当のことになんて全く興味がありませんわ」
そんな無言のアピールを周囲の乗客に与えるのだ。
心の中では「牛!舌!麦!飯!」と牛タン弁当への熱い情熱が
渦巻いていたとしても、決して周囲にそれを匂わせてはいけない。

そして2、3分ほどその姿勢を保ったのち、
「あぁ、そういえば」
といった表情、もしくは素振りで、牛タン弁当の存在に気付いたふりをする。
ここで本当に「あぁ、そういえば」などと声を発してはいけない。それは大女優で
もない限り、その発言に変な力みとわざとらしさが含まれてしまう為に、
周囲の乗客に
「あ、こいつ本当は最初から牛タン弁当をずっと食べたかったのに
変な演技をしてやせ我慢していたな!」
と確実に気付かれてしまい、今までの努力が水の泡である。
「大食漢」+「見栄っ張り」というレッテルを貼られた状態で2時間余りを
過ごすというハメになってしまうから注意が必要だ。

新幹線を利用する際と同様の手順を踏み、河口湖行きのバスの中でも
まずは外の景色に目をやり、霞が関を通り、国会議事堂も見えたので、
「むむ、あれが、政治とカネの問題の巣窟ね!」
といにしえから続く政界と財界の癒着に一喝する素振りを見せつつ、
心の中で吹き荒れる「たらこ!おにぎり!にぎりめし!」の嵐と格闘
したのち、バスが首都高に乗ったことを皮切りに、たらこにぎりを
頬張り始めた。

また長くなりすみませぬ・・・。そして次回につづきます・・・。





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