そろそろスタート時刻が迫って来たので、同期たちと共に、スタート地点に向かって歩き出した。


このマラソン大会のために、海岸沿いの道路が封鎖されており、その道路上に

スタート地点も設けてある。


スタート地点に行くには、更衣室などのテントがある高台から坂をくだって

少し歩かなければいけないようだ。


それにしても、人数の多いこと。


10KMの部は男女混合で行われることもあって、何千人という参加者たちが一斉に

スタート地点を目指してぞろぞろ歩いて行く。


もう少しでスタートの時間なのだが、前がつまっており、なかなか前に進めない。


そんな状態に少しやきもきしていると、だいぶ前の方で

「わーー」

という歓声のような声が聞こえてきた。時間をみるとまさにスタートの時間であった。


とうとう10KMの部は始まったのである。


それなのに相も変わらず集団のノロノロ歩きは変わらない。

なかなかスタート地点が見えてこない。


ロクに練習もしていないし、まさか順位を競うつもりも毛頭無いのだが、

何だろうこの苛立ち、そして焦燥感は…。


同じ戦いの場に挑むというのに、ある一方の人々は既にスタートを切り、

もう一方の人々はまだスタートを切れず既にスタートを切った人々の後ろ姿を指を

くわえて眺めているほかないという現実・・・。

ここに人間社会における不条理さを感じ、そしてその縮図を見た気がした。


そんな現実を憂いながらも、私の中で「焦り」はどんどん大きくなる。


これは、とうの昔に忘れ去られた私の中の「アスリート精神」が

目を覚ましたということか。

アスリート精神よ、今さら目覚めてどうする。

次回は、大会3カ月前あたりにはボチボチ起きだしていておくれ。

きっとその頃には私も、くるぶしソックスにスパッツを合わせて、

いっぱしのランナー風を気取って君の目覚めを待っているから。


と、色々な思いが入り混じり、心中穏やかではいられなかったが、

だんだん集団の動きが早まってきたことに気がついた。


そして、早歩きから、今度はゆっくり走りになり、

「え?え?」ととまどいながらも周りのペースに合わせて走っていると、

いきなりスタート地点が見え、あっという間にスタートを切ってしまった。


あっけない10KMマラソンの幕開けであった。


中学生の時の陸上部では短距離専門で走っていたので、「スタート」と言うと、

シン…とした静けさの中、「位置について。用意…パン!!」

という、常に大変な緊張感に満ち満ちた雰囲気で行われていた。、

なので、このように「わけのわからぬうちに」という気の抜けたスタートは初めてであった。


こんなことなら、記念に「欽チャン走り」をしながら、「なんでこーなるのっ!」

とでも言い捨てつつスタートラインを割るぐらいのことはしたかった。
 

とにもかくにも、本当にスタートを切ってしまった。今度こそ、後には引き返せない

戦場にとうとうに足を踏み入れてしまったのだ。


最初は同期たちと

「キャー始まったよーー」

とワーワー言って、はしゃぎながら走っていたが、長距離という競技は、自分より

早かろうが遅かろうが、他人にペースを合わせて走るのは一番疲れるものだ。


というわけで徐々に集団はバラけていき、

「あぁマラソンって本当に孤独との戦いなんだなぁ」

ということに気付かされると同時に、身が引き締まる思いだった。


最初の3KMあたりまでは、自分の思っていたペースよりも幾分早めな

ペースで足が進み、「案外イケルかも」なんて10KM完走への淡い期待

生まれたが、私の今までの最長走行距離3.5KMをすぎたあたりから

だんだんと雲行きが怪しくなってきた。


身体、そして脳というのはとても正直で、「3.5KM超え」という未知なる

領域への挑戦に対して、私の性格の中で大きな割合を占める

「小心者」という特徴が徐々に発揮され始め、尻込みしているのが手に取るように

わかる。


「私の足よ!そして脳よ!今はその小心さを出している場合じゃない!

勇気を出すんだ!歩を進めろ!」


と自分自身を叱咤激励してみるも、

「えぇ~~…でもぉ~~…」

と私の足と脳は情けない反応を示すばかり。

心なしか走るペースも落ちてきた気がする。

これが自分の足と脳なのかと思うと、不甲斐ない気持ちでいっぱいになった。


そんな時、ふと自分の足元を見た。

そして、そこには、ふくらはぎの一番太い場所にもかかわらず、スタートする前と

同じ位置から、まったくずり落ちていない「チャンピオンの靴下」があった。


同期からも散々

「ゴールする頃にはずり落ちて、くるぶし丈になってるよー」

と笑い物にされていた私の「チャンピオン」。


中途半端な丈で、周囲から浮いてしまった私の「いたたまれなさ」から、

その存在を恥にすら感じてしまっていた「チャンピオン」。


でもそんなチャンピオンは、笑われようとも、ぞんざいな扱いを受けようとも、

ものともせず、足の一番太い場所に必死にしがみついて戦っている。

「ソックタッチ」などの糊でとめているわけでもない。

次々に襲いかかる振動の中、一番太いふくらはぎからずり落ちないように、

必死にしがみついているのだ。

それはチャンピオン自身の「ずり落ちてたまるか」という並々ならぬ根性と、

「チャンピオンとしての名がすたる」というチャンピオンとしてのプライドがなせる技だと痛感した。


そんなチャンピオンの姿に感動した。

少し目頭が熱くなった。

そしてその存在を恥に思った自分こそを恥じた。


「チャンピオンが必死で戦っている!チャンピオンは私と一緒に走ってくれているんだ!」

チャンピオンの無言で戦う姿が、私を一気に元気づけた。


それからの私には、相当に苦しかったのは事実だが、

「絶対完走してみせる」

という前日まではそのカケラすらも持ち合わせていなかった

完走への強い「執念」が生まれた。

寝ぼけまなこだった私のアスリート精神も本格的に目が覚めてきたようで、

少しでも順位を上げようと、前を走る人を次々と標的にしていった。

追い抜いたり、追い越されたりしながら、そして時には歩いたりしながらも、

ゴールを目指しひたすら前へ進んでいった。


それでも、8kmあたりでは、はっきりと「死」を覚悟し、「もうムリ!!」と、投げ出してしまいたい

気持ちになった。

大会終了後に、8kmあたりで力尽き、屍と化した私の姿を、

同期と大会関係者の捜索によって発見される光景が脳裏に

浮かんでしまうほどに、強固なネガティブ思考に苛まれた。


しかし、それを乗り切れたのも、やはり「チャンピオン」のおかげだった。

チャンピオンはそんな時でも、先とは寸分違わぬ姿で私のふくらはぎに

しっかりとしがみついていた。

共に戦っていた。

それが私への「無言のエール」となり、10KM完走への原動力となったのだ。


そして、そして、とうとう私はチャンピオンの力強い後押しのお陰で、

人生初の「10kmマラソン完走」という快挙を成し遂げることができた!!


最後まで私と一緒に走ってくれた「チャンピオン」の存在には感謝の気持ちで

いっぱいだったし、結局最後までずり落ちなかったその勇姿、

そして健闘を称えずにはいられなかった。


また、自分で自分をほめてあげたいとも思ったし、その4倍の距離を

走り抜いた有森裕子はもっとほめてあげたいと思った。

彼女が銀メダルを獲得した当時の私の彼女に対する「ほめ」は甘かったと、

10KMですらこんなにもくたばってしまった私は自責の念にかられた。


苦しいながらも、眩しい程に太陽に照らされて煌めく海岸線を

潮風を受けながらのマラソンは、終わってみると最高に心地よかった

ように思えた。


最初は苦痛で仕方なかったし、ウェア選びで失敗してことも相まって、

参加することを大いに後悔したこともあった。

それでも「大会」という緊張感の中、美しい景色と快い風に吹かれて

疾走できた「快感」、そしてゴールラインを割る「喜び」を味わうことができたので、

この10KMマラソンは、私にとってかけがえのない経験となった。


この苦しみぬいて走り終えた後の「快感」が、続々とマラソン愛好者を作り出すのだろう。

単なるマゾヒストの集う大会では決してないのだ。


そんな私の成績であるが、

「順位: 3315位/3786名」

「記録; 1時間21分14秒(制限時間1時間30分)」

という大変輝かしい記録であったことを最後に記しておこう。


来年、十分トップを狙える位置にこぎつけたことを光栄に思う。


そして私が来年、再度挑戦するにあたりまずしなければならないことは、

「チャンピオンのくるぶしソックスを探し出し、購入する」

ということであるのは間違いないようだ。


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