ご好評頂いている「プリンセスレッスンシリーズ」も今回でついに最終章。


実際、誰から好評を頂いているのかは、プライバシー保護の観点から発表を

控えさせて頂く。(実は誰からも好評を博していないのではないか、なんていう

つまらない憶測も控えて頂きたい。)

しかし、最終章とうたいつつも、最後まで読んでみたら終わりを迎えるどころか

実はまだ始まってもいなかったなんてことも、もしかしたらあるかもしれない。

書いている私ですら、着地点が見えないのだからしょうがない。


人生何が起こるかわからないので、心してかかってほしい。


そんな私の切なる願いをこの記事から教訓として学んでもらえたら幸いである。

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さて、前回の記事では「プリンセスの種を育てる」ということを試み、

その為に、「プリンセスダイアリー」という名の日記を日々つけることを学んだ。

この行為が、日々の小さな幸せをどんどん見つけていく原動力となり、

常に自分の心を豊かな状態に保つことにつながるということだった。


今までの人生において「日記」なんていう「マメさ」の象徴といえる習慣とは

ほど遠い「ものぐさ」な日々を送ってきたが、そんな私が

最近ではプリンセスダイアリーを毎日つけている。

本当に簡単に箇条書きでその日にあった嬉しかったことや、「気づき」などを

書いているだけなのだが、これが意外と楽しい。


その理由として、まず、「『日記をつけている』という行為から漂う

『女の子らしさ』というものに酔っている」ことが挙げられる。


今まで、「日記をつけているんだ」という人に、「すごいなー」と

羨望のまなざしを送って生きてきたものだ。

とてもじゃないが、私にできる芸当ではないと思っていた。


「日々の出来事を記す」という行為は、一見簡単なようでいて、

毎日続けるには、それ相応の根気とマメさが必要になる作業である。


それでいて、日記をつけている人というのは、それを嫌々やっているわけではなくて、

「書きたいことがある」

もしくは

「書かなければいけないことがある」

という前提があっての行為であって、それだけ日々起こるそれぞれの出来事に対して

きちんと向き合い、考えたり感じたりしているからこそ続けられるものなのだろう。


まとめてしまうと、「日々を丁寧に生きている」というわけだ。


そして、「日記を付ける」といった行為をしている人は、男性よりも比較的

(もしくは圧倒的に)女性の方が多い。

となると、今の私は「日記をつけている」と堂々と発表することが

出来ると同時に、それを聞いた人から「あぁ、この人は日々を丁寧に

生きているんだなぁ」と思われる可能性が高いと思われ、ひいては

「女の子らしさ」を匂わすことに成功するということだ。


もしかしたら、それによって少しモテるかもしれないのでそうなったら儲けモンである。

(しかし、私の「モテ」戦略を今ここに披露してしまった以上、これを読んだ人には

この方法が通用しないのが非常に残念だ。)


そんな下心を見え隠れさせつつも、日々プリンセスダイアリーをつけることによって、

私の「プリンセスの種」はどんどん育ってきているようだ。


それでは最終段階の「プリンセスのお花を咲かせる」ことに挑戦

してみようと思う。(以下抜粋)


“『プリンセスのお花』が咲くと、毎日の中で「あれ、なんだか、すべての出来事が

繋がり合っているみたい」「次々と同じようなことが重なってくる」

という感じがするようになります。”


この本には書かれていないが、このような偶然のつながりを

「シンクロニシティ」というらしい。


「シンクロニシティ」とは、

虫の知らせのような、意味のある偶然の一致。

心理学者ユングが提唱した概念。共時性。同時性。同時発生。(出典:大辞林)

というもので、例えば、電話をかけようと思った相手からちょうど電話が

かかってきたり、「知りたいな」と思っていたことが、何気なく開いた雑誌に

その答えとなるものがそのものズバリ書かれていたり、というもの。

誰でも似たような経験があるのではないだろうか。


最近では「引き寄せの法則」について書かれている書籍などで、

この「シンクロニシティ」という言葉は多く使われ、よく目にする。


こういった「シンクロニシティ」のような出来事がが頻繁に起こってくると、

それは自分の夢や理想の実現、そして幸せな出来事が間もなく訪れる

「シグナル」である、と著者は主張する。

“こうなったら、あなたの願いが叶うのは時間の問題です!

なぜなら、この世界にあなたのために用意されている素晴らしい宝物が、

あなたのお花から溢れる良い香りに呼びよせられ、あなたの元に次から

次へと届けられるようになるからです!”


すごい!!私のお花から溢れる良い香りが、素晴らしい宝物を

呼びよせてくれるんだ!!

ということは、先ほどから私にたかっているうるさい小バエも、私のお花の

香りに呼びよせられているものであると信じると同時に、自分の清潔さも信じたい。


ところで、私にも最近、この「シンクロニシティ」ではないか・・・と思われる出来事が

起きているので、そのエピソードをご紹介しようと思う。

キーワードは「鳥」である。



先日、ホノルルステイの時にアラモアナビーチを散歩していたところ、

いつもは気にも止めないが、二羽の鳩が目に入ってきた。


そういえば、この前のイギリス旅行で、湖水地方の水上クルーズを楽しんでいた時に、

湖を優雅に泳ぐ二羽の白鳥を見つけた私が

「あの白鳥たちはきっと親子だね」

と発言し、それに対して一緒に行った「鳥好き」の同期が、

「違います-。鳥は『つがい』で行動するんですぅー。」

としたり顔で、私の誤った認識を指摘してきたのを思い出した。


というわけで、

「あの鳩たちは夫婦なんだなぁ」と思いながら、二羽の鳩を何となく眺めていた。


鳩たちはそれぞれ、何が面白いのかよくわからないが、地面をつついたり

ぐるぐる回ったりして、お互い好き勝手やっているように見える。

けれどもそれでいて常に「つかず離れず」一定の距離を保っているのである。


周りを見渡したら、同じようなつがいの鳩たちがたくさんおり、同じように

好き勝ってやりながらも、つかず離れず行動しているのである。



今まで鳥の行動、ましてやどこにでもいる鳩の動きなんて気にも止めた

ことが無かったが、「人間の夫婦もこの鳩たちのように、お互い自由に

やりつつも、どこかでお互いを意識し合い、「つかず離れず」の精神で

いれば離婚件数も減るのかもなぁ」なんて、そんなつがいの鳩たちの行動を

見ることによって人間社会の問題の一つにまで思いを巡らせることに

なるとは自分でも驚きだった。


そんなことを考えつつ、また歩き出すと、今度はメス鳩に必死に求愛するも

逃げられている哀れなオス鳩を発見した。


鳩の求愛姿を見たのは初めてだった。オス鳩が体を大きくふくらませて、

メス鳩に愛を必死に示していた。


調べたところによると、この求愛行動の結果、メfス鳩が「OK」ならば

「オスの口ばしの中へ自分の口ばしを入れる」というまるでキスのような

行為で求愛に応じるという何ともロマンティックな結末を迎えるようだ。


しかし、残念ながら、このオス鳩にそんな満塁逆転ホームランのような

甘いエンディングは用意されていないように見受けられた。

鳥なのでもちろん無表情なのだが、そのメス鳩が必死で逃げ惑う姿によって、

本当にそのオス鳩を嫌がっているのが手に取るように伝わってきたのである。

これほどまでに毛嫌いされているのに、そのオス鳩は執拗に

メス鳩を追いかけ回すことを止めようとしない。


終いには、十何羽いた鳩たちが、そのオス鳩だけを残して、示し合わせた

かのように一斉に、「バサーッ」と飛び立っていった。

雄鳩は「え、えーー!?オレだけ置いてけぼりー!?」と言わんばかりに、遅れて

その鳩集団の後を追い、飛び立って行った。


そんなオス鳩の一部始終が滑稽すぎて、一人笑ってしまった。


人間社会同様、鳩社会でも、相手の気持ちや空気の読めない

ひたすら必死なだけの男は嫌われるようである。


そんな哀れなオス鳩に心の中で小さなエールを送りつつ、私はまた歩き出した。


そうしたところ、今度は「鳥おじさん」を発見。

何十羽という鳥たちに群がられながらベンチに座る中年男性がいたのである。

彼の頭、肩、横にピンとのばした両腕、膝・・・等々、もう体中に

無数の鳥たちが、おじさんをまるで止まり木のようにして止まっているのである。

かなり衝撃的な光景であった。

正直気持ち悪かったのだがついつい見入ってしまった。


きっとこの辺では「鳥男」もしくは「鳥人間」なんて呼ばれ、親は子供に

「あのおじさんには近づいちゃダメ」と注意を促したりして、少し

イカれた人扱いされているのではないだろうか。風貌もホームレスに

近いモノがある。


しかし、何十羽という鳥たちがこぞって集まってくる・・・そんな彼の努力は

並大抵のモノではなかっただろう。


エサを用いて、鳥たちを少しづつ慣れさせたのだろうか。最初は一羽

だったかもしれない。それが日を重ねるごとに少しづつ増えていき、また、

鳥たちの間でも噂が噂を呼び、今日に至ったのではないかと思われる。


そんな鳥たちとおじさんの間に利害関係があるとは到底感じられない。

きっとおじさんはただ鳥が好きで、鳥たちもおじさんが好きなだけなのだ。

今はそんな彼らの憩いの一時、そして至福の時なのだろう。


彼らの間には第三者の決して介入することのできない、厚い信頼関係が

既に構築されているように思え、少し感動すら覚えた。


感動しつつも、「おじさんとそれに群がる何十羽の鳥」という光景に、

やっぱり気持ち悪さを感じてしまうことは否めなかったので、

「おじさんと鳥たちよ、永遠に!」と心の中で小さなエールを送りつつ、

早々にその場を立ち去ることにした。


「それにしても今日は『鳥』づいているなぁ」なんて思いながら、散歩の帰り

に立ち寄った本屋の文具コーナーで、またもや『鳥』が描かれたハードカバーの

可愛いノートを見つけてしまい、それに一気に惹かれ購入してしまった。

(ちなみに今、そのノートはこのブログ用のネタ帳になっている。)


そして、先日、既述の鳥好きの同期に、「ディジーダック」(ドナルドダックの彼女)

というディズニーの仲間たちの中でも、いくぶんマイナーな存在のメスアヒルの

メモ帳をもらい、また別の同期からは銘菓「ひよこ」をもらった。


・・・もう何だか知らないが、最近の私は『鳥づくし』なのである。

そしてこの際言ってしまうが、私は焼き鳥が大好きだし、鶏の唐揚げなんて

大好物の一つだ。

最後のとどめとして、私は干支は「酉」である!!


こうなるともう、これらのシンクロニシティは、きっとチルチルとミチルが追い求めた

ような「幸福の青い鳥」が、間もなく私にさらなる幸福を運んできてくれる

ことを教えてくれていると思えてならない。


まぁ・・・これらの出来事が「近々頭の上に鳩のフンが落ちてくる。」という

出来事の予兆であるとも考えられなくもないが、そう思い始めると

何だかもうやりきれないので、この考えは抹消することにして、

「青い鳥」の可能性の方にかけてみようと思う。


「なんだ、そんなの単なるこじつけじゃんか。」

と思ったそこのあなた。鋭い。

そう、「シンクロニシティ」とは一種の「こじつけ」であると私も思うのである。


ただ単に、私に鳥にまつわる小さな出来事が重なっただけで、

それを「幸福の青い鳥」と結びつけてしまうなんて、本当におめでたい奴

であることこの上ないと思われても仕方がない。私ですらそう思う。


ただ、本当にこのシンクロニシティという一連の偶然の出来事が、

何か幸福を予兆するものである、という主張が存在する以上、

それらの出来事はこじつけなのかもしれないが、本当にシンクロニシティ

かもしれないという可能性も捨てきれないのだ。


ここで大事なのは、どちらの可能性も否定できないのであれば、それなら

良い方にかけてみようといった、前向きな考え方なのではないだろうか。


「間もなく青い鳥が私に幸福を・・・ムフフ♪」


という心持ちで常にいることができれば、目に映る日常も普段のそれとは

違い、より輝いて見えるはずである。

また、小さなことにも腹がたちにくくなるはずだし、小さな幸せも見つけやすくなるはずだ。

もしかしたらそういったポジティブな精神が、幸せを呼び込むことにつながるのかもしれない。


なんて、自分の「青い鳥説」を守りたいが為に、それこそ強引なこじつけ

を主張してしまったが、人生こじつけてナンボだと思うので、これからも

大いにこじつけて生きていこうと思う。


そんなこじつけばかりの私に、プリンセスレッスンは、次のような教えを

授けてくれた。(以下抜粋)

“もし、あなたにはっきりとした願いがあって、あなたが願った以上の形で

その願いを叶えたいと思うなら、これからご紹介する「プリンセスストーリー」の魔法

を使ってみてください。”


なんでも、プリンセススト-リーを書くことにより、お花の香りに

その人の願いが込められ、そして手の届かない遥か遠くの地にまでも

その香りが広がり、ありとあらゆる場所から願いを叶えるために必要なものを

集めてきてくれる、ということのようだ。


そして、「プリンセスストーリー」とは、自分の叶えたい願望を、自分が脚本家となり、

自分が主演する映画のように、一つの「お話」として書いていくというものだ。


プリンセスストーリーを書く上での注意点として、自分にとって、一番

「ときめく」こと、考えるだけで最高に「ワクワク」することを書く、ということが

挙げられている。

「叶いそうなこと」や「現実的なこと」ではなくて、それらを度外視して、

とにかく「今自分がこうなったら一番幸せだなぁ」と思うことを

綴っていくことが大事である、ということだ。


これはもう、妄想を糧に日々生きているといっても過言ではない私には、

うってつけの方法である。すでに私の頭の中では、毎日プリンセスストーリーが

繰り広げられているのだ。それを文章にするなんてとても容易いことよ。


というわけで、プリンセスストーリーを書いてみた。


私のプリンセスストーリーは・・・

・・・おっと!危ない。危うく私のプリンセスストーリーをお披露目してしまう

ところであった。


いくら私でも、日々の妄想の集大成であるプリンセスストーリーの

発表を躊躇するぐらいの羞恥心は持ち合わせている。(ここまで来て

羞恥心もへったくれもないが。)


それでも私のプリンセスストーリーを聞きたいと思う変わり者がいたら、

金品を持参の上、三回回ってワン!と言ってくれたら、考えてあげてもいい。


あなたも、自分だけのプリンセスストーリーをわくわくドキドキしながら

書いてみて欲しい。


そして、できあがったプリンセスストーリーは、何度も声に出して読むことで、

言葉に魂が宿り、それが言霊となって、夢の実現に動いてくれるという。


著者は、暗唱してしまうぐらい何度も読むことを推奨している。

暗唱は得意だ。

小さい頃、父に教わった落語の一つ

『寿限無、寿限無 五劫の擦り切れ

海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末

食う寝る処に住む処

やぶら小路藪柑子パイポパイポ

パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ

グーリンダイの

ポンポコピーのポンポコナーの

長久命の長助さん』

を、今でもリズムに乗って暗唱してしまうほどだ。


ただ、心配なのは、覚えたプリンセスストーリーを暗唱していたはずが、

最後は何故か「長久命の長助さん!!」で締めくくってしまい、ハッとする

のではないかという点である。


「プリンセスストーリー」が途中で「寿限無の落語」にすり替わることがないように

注意を払わなければならない。

 

以上、これが私が「世界一!愛されて幸せになる魔法のプリンセスレッスン」

を読み、そこから得たもので実践してきたことである。


それでも、プリンセスレッスンの中ではごく一部で、他にももっと

日々の生活を豊かにする素敵な知恵や工夫がたくさん紹介されている。

テイストはとても女の子らしく甘いものになっているが、書かれていることは

人間の心理を上手くついていて、読み応え充分な本であると思う。

興味のある人は是非読んでみてもらいたい。


私に貸して欲しいと言う人は、金品を持参の上、三回回ってワン!と

言ったら、考えてあげても良い。


あぁ・・・本当に私の記事は長くなってしまって困るなぁ。

まずはプリンセスストーリーに「文章をまとめる力が付きますように」

という願いを込めて、書いてみることにしよう。

そして、暗唱して、最後に「長助さん!!」で締めくくってしまったとしても、

あの落語は、親が子供の長寿を願う心をお話にして、生まれたもので、
 
結果的に自分の長寿を願ったことになるので、それもまたよし、とするか。


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