前回の記事の続きということで、

今回はプリンセスレッスンの実践について触れていこうと思う。


まず、プリンセスレッスンの第一段階

「プリンセスの器を満たす」

ことを試みてみる。

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プリンセスの器は誰にでも本来備わっているものらしい。


本によると、目に見えるモノではなく、心の中に存在するようだ。

確かに、ウチの食器棚に「プリンセス」という名の器を見た覚えはない。


良かった。「プリンセスの器」を持っていない私は、

「プリンセスの器を持っていないなんてお話にならないざーます!」

なんて教官に言われて、いきなりレッスンの落伍者となってしまうかと思った。


自分の心の中をのぞき見ることはできないが、きっと

私の心の中にも「プリンセスの器」は存在するはずである。

そして、おそらくは右心室あたりにあるのではないかと思う。

なるほど!レントゲン検査で見えたあの怪しい陰影は、器だったのか!




そして、その右心室にあると思われる「プリンセスの器」を何で満たすかというと、

「プリンセス気分」

というもので満たすらしい。


プリンセス気分・・・。

プリンセスキブン・・・。

メルセデスベンツ・・・。


何か語呂が似ているなぁ。


「メルセデスベンツに乗って、プリンセス気分~るるら~♪」


なんて韻を踏んで心地よいメロディーラインに乗せたなら、

それはもうメガヒットの予感である。


いけない!突然頭に浮かんだミリオンヒットの予感に、大変後ろ髪引かれるが、

今は、プリンセスレッスンだ。レッスンに集中しなければならぬ。


曲をリリースするのは、プリンセスになってからでも遅くはない。

何なら、「祝プリンセスになれました記念」で、世に作品を送り出せば

いいさ。

初回特典として、「特製プリンセスブロマイド」も付けてしまえ。

そして、印税で本当にメルセデスベンツを購入し、プリンセス気分を

味わえば、一石二鳥、一長一短、七転び八起き、七転八倒ってなもんだ。



何が何だかわけがわからなくなってきたが、気を取り直して

「プリンセス気分」とは何かを見ていこう。


「プリンセス気分」とは、自分自身が、「幸せ~♪」と感じる気分のこと

のようである。

(以下抜粋)

“「プリンセスの器」を満たすためには、今よりもたくさん喜んだり、たくさん幸せに

なったり、たくさん気持ちよくなったりすればいいのです。”


なるほど。自分を喜ばせれば良いのか。


また、「ザ・魔法ルール」ということで、

日々の生活の中で「自分自身を大切にすること」

と書かれている。


自分で自分を大切にするなんて、とても容易いことのように思われるが、

これが意外と難しい。


特に、日本には「本音と建て前」という文化が存在するので、例えば

誰かに褒められたとしても、必要以上に謙遜したり、自身を卑下してしまう

傾向が典型的な日本人には多く見られる。


また、「質素倹約」の精神も未だ根強くあり、「贅沢は敵だ」と考えたり、

「お金が欲しい」とは思うが、実際必要以上にお金を稼いだり、大金持ちに

なったりすることに抵抗を感じ、「お金は汚い」といった価値観が

無意識に根付いている人がまだまだいるように思われる。


このように、精神的に自分を甘やかすことも、物質的に自分を甘やかすことも

日本人にとっては苦手分野なのである。

だからこそ、敢えてこの本では

「自分を大切に扱うこと」の重要性を強く主張しているのだろう。


「質素倹約」をモットーに日々慎ましく暮らし、多額の現金を持ち歩く

こともなく、しょうがないのでよく知らない手のひらに収まる「V」「I」「S」「A」

だか何だかと書かれたカード状のものを支払いの際に店員に提示し、

何でかわからないが、給料日のすぐ後には、ほとんどの金額が口座から

消え去る私にとっては、大変耳の痛い話だ。

宮沢賢治を地でいく私こそ、心してプリンセス気分を味わわなければ

いけないということだ。


それにしてもどうして、給与振り込み後間もなく、ほとんどの給料が

私の口座から一瞬にして消えてしまうのか。

支払いの際に見せているそのカード状のものを店員が機械の溝にスライド

させたりしているが、もしかしたら何か細工をして、私の口座から

お金を盗みだしているのかもしれない。

でも、何か知らぬが、細長い紙のようなものに私の署名を求めてくる

ので、もしこちらが不正工作を訴えたとしても、その私の署名を

もって何かの証拠とし、こちらの訴えを突っぱねるつもりだろう。


してやられたり!

これからは、署名を求められてもそれをしないで済む術を考え出さねば

ならない。これ以上彼らの思うつぼになってはいけないのだ。


「細長い紙に署名をしないでも済む方法」はまた改めて考えるとして、

プリンセスレッスンに戻ることにしよう。


本の中で、著者の実際の体験談が述べられている。

(以下抜粋)

“それは、ある日友人が泊まりに来たときのことでした。

「パジャマを貸して」と言われ、私は困ってしまいました。友人に貸せる

パジャマがなかったのです。

あったのは、私がいつも着て眠っているジャージだけ。それはもう何年も前の

もので、所々毛羽立っていて、絶対に、大切な友人には貸すことができない

ようなものでした。

(中省略)大切な友人には貸せないのに、私は、毎日平気でそのジャージ

で眠っている!そう、私は、大切な友人にできないことを、自分自身には

平気でしていたのです。”


このパジャマの一件で、著者は自分自身を軽んじていたことに気づき、

愕然としたようである。

私もこれを読んで同様にハッとして、自分の今までの行動を悔いた。


著者はまだ良い。友人に貸す前の段階で、自分のしようとしていることに

気がつき、反省することができたのだから。


私なんて、

「これ、ファッションセンターしまむらで980円だったんだよ。」

なんて自慢げに、全く自慢にもならないいらぬ情報を付け加えた上で、

誇らしげに、ボロパジャマを友人に貸していた。

曖昧な笑みを浮かべていた友人の表情を思い出す。


そして、著者は言う。

とっておきのパジャマを用意し、それを着て眠ること。

もし出来れば、洋服一着分くらいのお金をかけ、

可愛いパジャマを選ぶことが大切
、と。


私の中のパジャマの概念が覆された。

パジャマなんて毎日着るいわば消耗品で、安ければ安いほど良い、と

考えていたのである。

また、「パジャマ」という名の、上下がきちんとセットになったものなど、

久しく着ていない。ボロボロの着古したTシャツに、楽なウェストがゴムのスラックス

や短パンを合わせて、それをパジャマとしていた。

なんてプリンセスとは無縁の睡眠時間を過ごしていたのだろう。


著者は続ける。(以下抜粋)

“実は眠っている時間は、あなたを乗せたかぼちゃの馬車が、お城に

向かって走っている時間なのです。かぼちゃの馬車に乗っている素敵な

プリンセスが、ジャージ(笑)・・・であっては、馬車はまっすぐにお城に

向かってはくれません。”


・・・至極もっともである。

かぼちゃの馬車に乗ったプリンセスがボロボロのTシャツに短パンで

あっては、馬車にお城の前を素通りされ、せいぜい

「吉野家」に連れて行かれるのが関の山だ。

そして、土方の兄ちゃんやサラリーマンたちと並んで、「牛丼特盛りつゆだく」を頬張り、

平らげた後、馬車はお城なんて見向きもせず、まっすぐ家路につくのである。


そして、目が覚めた時、

「あ~夢の中でも大好きな牛丼が食べられるなんて、まるで夢のようだったな~。

あ、いけね。夢だった。」

なんて、舌を出しコツンと自分の頭をたたくのである。


なんておめでたいやつなんだ。


こんなやつには、かぼちゃの馬車ですらもったいない。

「トマトの牛車」で十分だ。

トマトなんて言うと、かぼちゃよりも何だか可愛い感じがするが、

だまされてはいけない。

熟れに熟れた完熟トマトなので、中はぐちゃぐちゃで乗り心地は最悪である。

その上、牛車なので、歩みが非常に遅く、ぐちゃぐちゃで乗り心地

最悪の車内に長時間乗せられるという拷問にも近い状況なのだ。


そして、着いた先が「吉野家」である。

それでも目覚めの時に「あ~牛丼食べれて幸せ♪」なんてまだ言うのか。


この部分を読んで空恐ろしくなった私は、さっそく

「とっておきパジャマ」を買いに出かけた。


「ピンクのものが更に良い」とも書かれていたので、

ピンクのパジャマを購入した。


ユニクロではあったが、1980円だったため、私にとっては非常に

頑張った方である。


早速、ステイ先のホテルの部屋で、優雅にそれを着て過ごしていたら、

大阪出身の同期に

「それうちのオカンが着てた。」

と言われたが、そんなの気にしない。


というか、むしろ光栄ではないか。

商人の街、大阪の中年女性が選んだ一品なのである。

一流の目利きが選んだ品も同然だ。


というわけで、まずは「プリンセスの器」を満たすための一つの手段

として「とっておきのパジャマ」(大阪のおばちゃんイチオシ)を手に

入れた私は、より、プリンセスに近づく為に、新たな挑戦を試みていくのであるが・・・。


次回に続く。

(この話がこんなに長期戦になろうとは・・・)

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