ネクラであり、人見知りな私だけど、ふいに襲われた孤独感も手伝って、
歩道で捕まえたおばあさんにやたら饒舌になっていた。
そんな中、おばあさんはこの場を離れたそうな雰囲気を醸し出し始め
たので、私はそれに気付き、解放してあげることにした(エラそう)。
おばあさんもきっと漬物を付けたり、お汁粉を作ったりとか、色々
忙しいのだ。まさか、20代後半の千葉からやってきたやたら饒舌な
怪しいオンナから早く逃れたいと思ったからではないはず。
おばあさんと色々お話して(一方的に話して)大分人間としての尊厳を
取り戻した私は、気を取り直して河口湖に沿って走る歩道を散策することにした。
そんなに大きな湖ではないけれど、青というよりは濃紺という表現
がしっくりくるような底の見えない深さを感じさせる。
こんなベンチも発見。
「明治 スカット」と書かれたベンチ。
私の記憶の限りだと、この商品が一体何なのか、飲料なのかはたまた
菓子なのかもわからない。
このベンチも大分年季が入っており、レトロ感を感じさせるので、私の生まれる前から存在する商品であり、私の生まれる前から存在するベンチなのだろう。
※調べたところ、「スカット」は明治の清涼飲料で、発売は1970年とのこと。初代CMには当時モデルだった峰竜太が起用されたらしい。
今の彼の持つ「恐妻家」タレントというイメージからは、「スカット」という商品名にふさわしいような「爽やかさ」や「清涼感」が到底想像できないけれど。
そしてこんな看板も。
その名も「HEART BREAK HOTEL(ハート ブレイク ホテル)」
素泊まり3000円。
ハートブレイクホテル…。
「これがきっと最後の恋!!」と一つの恋を「真実の恋」と信じ、その青春、そして時には命も懸けたものが、実は儚くも淡い「事故」だったことに気付く。そんな傷心を抱えた若者たちが「ハートブレイクホテル」こぞって集い、薪ストーブを囲みながら、肩を組み、皆で「ジュリアに傷心」を歌い、各々のジュリアに思いを馳せ、むせび泣く。そして互いの傷をなめ合う・・・。そんな光景がありありと浮かんでくる。
私もいつの日かお世話になる日が来るかもしれない。
その前にチェッカーズのレコードを借りて、「ジュリアに傷心」を練習
しておかなくちゃ。
んー…。それよりもまずはジュリアに出会わなければ!
…いや、いかんいかん。ジュリアに出会うということは、こっぴどく振られて、ハートブレイクしてしまうことなので、出来ることならジュリアには出会わずして安穏な日々を送りたい。
ハートブレイクホテルにも決してお世話になどなるものか。
「ジュリアに傷心しない」ことを河口湖のほとりで誓う私。
さて、次は今回の旅のメーンイベント。
「天上山から富士の絶景をのぞむ。」
天上山とは、かの有名な童話「カチカチ山」の舞台となった山。
「カチカチ山」ーいたずらをするタヌキを捕まえたおじいさんが、
家に帰り、おばあさんにタヌキ汁を作るように言う。ところがどっこい、タヌキはおばあさんを騙して殺して、おばあさん汁を作っておじいさんに食べさせてしまう。食べた後に、おじいさんはその汁がおばあさんだったことを知り、絶望。タヌキに対して憤慨する。そこへおじいさん夫婦と仲の良かったうさぎが、タヌキにかたき討ちを企てる…。という話。
うさぎがタヌキの背負った薪に火をつけ、タヌキが大慌てで下った山が「天上山」で、思いっきり飛び込んだ湖が「河口湖」らしい。
それにしてもおばあさん汁って…。
タヌキもタヌキだけど、おじいさんもおじいさんだ。
自分の妻をそうと気づかず食べてしまうなんてうっかりし過ぎである。
それ以前に、我が妻に化けたタヌキを見抜けず、差し出された
「タヌキ汁(おばあさん汁)」を何の疑いもなく口に運んでしまうぐらいだ。
おばあさんの突然の毛深さや、ヘンテコな位置にある耳等に
全く気付かないなんて、うっかり者の極みといえよう。
結局原作では最後にタヌキも殺されてしまうようで、この童話の言わんとする教訓はよくわからないが、私としては
「おじいさん、もっとしっかり!」
というエールを送り、本を閉じたいと思う。
そんな「天上山」へはロープウェイで上ることが出来る。もちろん、登山も可能。
あーなんでか縦にならない。
ごめんなさい。
ロープウェイ。
これが天上山の展望台から見下ろした河口湖。
そして・・・・・
これが天上山からのぞむ ザ・Mt.FUJI!!!!
写真だとあまり伝わらないのが本当に残念だけど、
ここから眺める富士山は、今まで色々な写真や映像で見てきた
富士山とは違っていた。
裾野が一望できてしまう。
町や家並みや木々の緑が放射線状に、まるで富士という巨木の
根っこのように富士に向かって伸びている。
いや、逆かもしれない。
富士から、長い長い根を周囲に向けて生らしている感じ。
そしてその根っこに人間を含めた生物が息づいているといったような。
天上山からの富士を一人ボケっと、飽かず眺めていた。
初めてバスの中で対面した一瞬の強烈な鳥肌とは違う、
淡々と、お腹の底から小刻みに込み上げる感動を確かに感じながら
日本一とされる山に魅せられていた。
そうか、私たち日本人は富士山の根っこなのか。
富士山はパワースポットといわれるけれども、
もしかしたら根っこである私たちのパワーが寄り集まった
最終地点が「富士山」なのではないだろうか。
この大きく放射線状に広がる裾野は日本列島全てに
繋がっているのだ。
本州自体がもう富士山とも思えてしまうほどだ。
そうであれば、日本で暮らす私たちは富士の上で生活を
営んでいるわけだ。
この山を日本一と称え、何かと日本の象徴であると評され、
日本人の心の拠り所としていにしえから愛されてきた
あまりに特別なこの山の存在意義が何となく少しわかった気がした。
そしてこの文章は、読んでいる人には全くわけがわからないことは十分過ぎるほどわかっている。
サラーっと斜め読みしてくだされ。えへへ。
そして、私は明日からインドに旅立ちます!
インドに行くと、やたらとハマって何度も行くようになるか、
もう二度と、絶対に行きたくない!と感じるか、
両極端に分かれるみたいだけど、はたして私はどちらの
人間に属することになるのか。
「行くと、人生観や死生観が変わる。それほどまでに
執拗に何かを問い続ける国、インド。」
衛生面やトラブル等とても怖い部分もあるけれど、
行くとなったら思いっきり、インドに体当たりをして、
思いっきり自分にも体当たりしてきたい。
イメージトレーニングのし過ぎで、まだ行ってもいないのに
早くもお腹を下してしまった私。
肉体はもうすでにかの国インド。
行ってきまーす!
そうだ、富士山へ 行こうその4
立石に力強く書かれた「富士御室浅間神社」の文字は
歴史を感じさせる。
静かすぎる…。信玄の魂どころか、人っ子ひとりいないようだ。
だって、社務所すら開いていないのだから。
とりあえず手近にあった(失礼)大分古い本殿と思われるところで
お賽銭を入れて祈りを捧げた。
ところで、最近の私は、神社などで祈願する際、お願いごとをしないようにしている。
ただ一言、「いつも色々とありがとうございます。」と心の中で唱えている。
「色々と」という言葉により抽象性を持たせ、「あらゆる時、あらゆる場面で、何かしらお世話になっております」というニュアンスを出すことに成功し、我ながらなかなか使い勝手の良いフレーズであると思っている。
今までの私は、時間の許す限り心の中でお願いごとを繰り返していたものだ。自分の幸せはもちろん、家族のこと、大好きな友人たちのこと。
時には「ミスチルのコンサートツアーがつつがなく行われますように。」と、日本を代表するアーティストの興行の成功までも祈っていた。
彼らの毎度のコンサートの最高のパフォーマンスの裏には、一ファンとしての私の微力も一役買っているということも信じたい。
このように「願ったもん勝ち」という精神において神仏に手を合わせていたというわけだ。
しかし、先日とある本(?)サイト(?)媒体ははっきりとは覚えていないのだが、こんなことを書かれていたのを発見したのだ。
「神様は、毎日毎日、たくさんの人から色々なお願いをされて、もうパニック状態。大忙し。そして、そんな願ってばっかりの利己主義な人間たちに、神様でさえも、嫌気がさしているほどだった。でも、そんな時にこんな祈りが
『神様、いつもいつもお守り頂いてありがとうございます。(終了)』
(神様、感動!)
お願いごとばかり人々の中に、一人だけ、何も願わずただただ感謝を述べている人が!神様は言った。
『ん?キミ、何か困ったことや叶えたい夢などは無いのかい?神様キミのためなら一肌脱いでやるぞ』」
と。
これを読んで、「うん、確かに。」と思った。
神仏も、利己的な人間たちよりも、そんな謙虚な人間の願いこそ、最優先に叶えたいと思うだろう。
それを知って以来、参拝する際は私はお願いごとをせず、お礼だけを述べているというわけだ。
しかしながら未だ、神仏から『ん?謙虚なお主よ。何か願いはないのかね?』という呼びかけがきているような気配はない。
上記の情報により、願い事をせずに、感謝だけを述べる人が急増し、「願いをかなえてやる人」の抽出作業に神様はまたもや大忙しなのかもしれない。
はたまた、「願いごとをしないで、ただお礼を伝えることで神仏に願いを聞き入れてもらいやすくなるらしいからそうしよう。」という、謙虚な人間の皮を被った私の狡猾さが、実は神仏にはみえみえなのかしら…。
こうなったらもうひたすら無作為に、時には感謝に加えて願い事もし、また時には感謝だけすることにしてみよう。
どんな行動を取るのかわからない人ってミステリアスだ。ミステリアスな人間は人を惹きつけるものがあるので、もしかしたらそんな私のミステリアスさに神仏も惹きつけられ、願いを叶えてくれたら幸いである。
ミステリアスな部分を駆使して神仏を惹きつけようと目論む私の挑戦は続く。
そして、感謝を心の中で述べ終えた私は、誰もいない社内にある古びたベンチに座り、深く深呼吸をして空を眺めた。
見事な「青」のグラデーション。雲一つない突きぬける青空。
この写真、雪化粧した富士山が逆さになっているように見えなくも
ないですか。
本当に静かで、空気がこれでもか!ってほど澄んでいて、そんな環境にしばらく身を置いていると意味もなく身ぶるいしてしまう。
私が今この富士のふもとにある由緒正しき神社において空を仰いでいる間に、皆は仕事をしたり、ご飯を食べたり、笑ったり、泣いたり、怒ったりという生命活動を営んでいるのだなぁ、などとぼんやり考えていた。
人ひとりいない、あまりに静かな環境も手伝って、そんな現実社会と自分との間に横たわる断絶感を感じ、ふいに大きな孤独感に襲われた。自分ひとりがこの世に取り残されたような感覚。大げさかと思われるかもしれないけれど、何だか急に怖くなった。人と触れあいたい!と思ったのだ。
私は急いで神社を出た。
富士御室浅間神社。むむ。信玄ゆかりの神社ということだけあって、そこを訪れた人に何がしかの感情を喚起させるパワーを持っているのだろうか。侮るなかれ。
・・・まぁ人一人いない静かすぎる環境っていうだけなのかもしれないけれど。
そんな恐怖感に苛まれた神社から、命からがら逃げて出た私は
ふと後ろを振り返った。
『振り返れば奴がいる』のである。
織田雄二ではない。
カンチでもない。
富士山がいるのである。
大体どこにいても東西南北どちらかの方角を向けば富士山はそこにいるのである。河口湖町の住人の人々は、常に富士山に見守られて日々を送っているというわけだ。
何ていう幸せ者だろう。
私は孤独感に苛まれていたこともあり、河口湖沿いの歩道を歩いていた住人とおぼしきおばあさんを捕まえ、自分は単身で千葉から富士山を見にやって来たことと、いかに富士山に感動したかを語り、
「いつも富士山を見られるなんて本当に羨ましいです。」
と、河口湖町の住人に対する羨望の念を伝えた。
「いーやいや、あんなの毎日見てるから、ありがたくも何でもねえす。」
と、おばあさん。
そうか。日本一と称されるあんなにも素晴らしい山であっても、毎日眺めていると特にありがたくもなんともなくなるのか。
いや、でも、やはり私は常に富士山に見守られて生活をしているここの住人の人々は、やはり幸せ者なのだろうと思う。毎日眺めているから新鮮味はないのかもしれないけれど、日本一の素晴らしい山の麓で生活を営む上で、特別意識することはないにせよ、日々日本人としての誇りと自信が育まれているのではないのだろうか。
でも、簡単に富士山を見ることのできない私だって幸せ者だ。
だって、麓に住む人々と比べてなかなか眺めることができないからこそ、こうやってたまに対面する時、そのつどその圧倒的な存在感に大いに感動することができるのだから。
って、あはは、いつまで続くんだーい!
そうだ、富士山へ 行こう その3
念願のたらこおにぎりを食べ、お茶を飲んだ私は、窓を通して差し込む
冬の柔らかな日差しに包まれ、いつのまにか眠りにおちてしまった。
そして目が覚めたら、唯一の休憩地点「足柄サービスエリア」に
バスは止まっていた。
運転士が「10分間休憩でーす」という森田一義のテンションで、
休憩を促し、数名の乗客がバスを降りて行く。
ふと車内の左側に目を移すと、そこにはびっくり!
「どどん!」と富士が見えた。
いや、びっくりすることはないし、当然なのだけれど、
「憧れの人に自分がグースカ寝ているところを、体育座りで
ずっと見つめられ続けていたことに、目が覚めて気が付いた気恥ずかしさ」
とでも表現すればいいのか…。
すごく嬉しくて、とてもドキドキしているのだけれど、そんな胸の鼓動に
気付かれないように、
「もーーいたなら起こしてよね!」
と頬を赤らめつつ、怒ったフリして枕でもぶつけたい乙女心というか…。
とにかく目覚めた直後の富士山との初対面はとてもドキドキした。
初めて富士山を見た私の感想は「抱きつきたい」である。
今まで数ある山を見てきたが、「抱きつきたい」と思わせた山は
富士山だけだ。
いや、実在の人物でも初対面で「抱きつきたい」と私に思わせた者は
未だかつていない。
残念ながら富士山のぶっちぎり勝利だ。
「抱きしめたい」ではない。「抱きつきたい」のである。
これは、威風堂々とそびえる姿は、まさしく偉丈夫であり、
大きく大きく広がる裾野からは圧倒的な安定感を感じるからだろうか。
とにかく「男」を感じるのだ。
「富士山」というか何ならもう「富士男さん」とでも呼びたいくらいだ。
富士男さんなら、私が遠くから全速力で駆けて行き、思いっきり抱きついたとしても、
微動だにしないに違いない。
富士男さんはそういう男なのだ。とにかく「男」なのだ。
もし、山に性別が存在し、富士山が「女」とされていたら
私は途方に暮れるだろう。
富士山は「男」であり、「雄」であり、「殿方」であり、「♂」なのだ。
「山男」ならぬ「男山」なのである。
「娘さん よく聞けよ♪ 男山にゃ 惚れるなよ♪」
なのである。(あ、しつこい?)
そんな愛しいお人に見守られ、ドキドキを抱えつつ、バスは再度
発車し、ようやく終点「河口湖駅」に到着した。
お昼の時間だったので、まずは腹ごしらえということで
念願の「ほうとう」を食べようと、駅前にある「ほうとう屋」さんに
入ることにした。
注文から15分ほど経った頃にほうとうは運ばれてきた。
大き目の鉄鍋に入れられ、グツグツ煮立っている。
とても熱そうだ。
それにしても…何でだろう。汁が黄色い。
味噌仕立てとのことだったが、カレー粉を入れたとしか
思えないくらいイエローな感じなのだ。
カレーうどんとまでは言わないけれど、カレーうどん一杯に
生クリーム一カップを入れ、クリーミーにした感じの色。
でもカレーの匂いはしない。
まぁいい。とりあえず食べてみよう。
たくさんの野菜とともに「フーフー」言いながらほうとうを口に運んでみる。
…おいしい!そしてとーーっても熱い。
でもやっぱりカレーの味は全くしない。
では一体何なのだこの黄色は。
汁の黄色さをいぶかしがりながらも、アツアツのほうとうを食べ進めて
いくと、「そうか!!」と合点がいった。
「かぼちゃ」の仕業だったのだ。
かぼちゃがデロンデロンになるまで煮込まれ、溶けたが為のこの黄色なのだ。
そう考えると、味噌仕立ての汁にかぼちゃが溶けだしていることで
コクと甘みが加えられているような気がする。
でかした、かぼちゃよ。
他の野菜は、熱々の煮えたぎる汁の中であっても決して己の
姿かたちを変形させることなく、原型をとどめているのに対し、
かぼちゃは、かぼちゃだけは、熱々の汁の中に無防備にも
その身をゆだね、溶け出すことで自らの肉体を犠牲にし、
ただひたすら味の向上に徹しているのである。
「おいら美味しくなるためだったら、いくらでも溶けてみせるよっ。
ちょっと…苦しいけどね。へへっ。」
そんなかぼちゃの健気で、悲痛な思いが伝わってくるようだ。
そうなると、他の野菜もぼやぼやしていないで、
少しはかぼちゃを見習ったらどうなのだと言いたくなる。
にんじんあたりも、少しは溶けるなりなんなりして、汁に
赤みでも甘みでも加えてみたらいいのだ。
そうしたらかぼちゃの負担も減るってなもんだ。
このようにして、かぼちゃの勇気溢れる溶けっぷりを褒め称え、
他の野菜に苦言を呈したりしながら、山梨名物「ほうとう」を
古民家風の店内で味わった。とても美味しかったし、身体も芯から
温まった。とても良い記念になった。
そして腹を満たされた私は、ほうとう屋を後にし、
河口湖駅から「河口湖周遊バス」に乗って、
パワースポットの「富士御室浅間神社」を目指した。
レトロな雰囲気の周遊バスには、見事におじいさまとおばあさま
しかいなかった。
この感じは、平日昼間に近くの健康ランドへ向かう無料シャトルバス
の車内に酷似している。
そしてとても落ち着くのだ。
あぁ、富士御室浅間神社が今をときめく、ナウい、トレンディなスポットでなくて良かった。
もしそうであったら、今この車内には若いカップルがひしめき合い、私は少なからず居心地の悪さを感じていたことだろう。
河口湖に沿って走る車道を、バスに揺られ15分程経っただろうか。
周遊バスは富士御室浅間神社に到着した。
下車を申し出たのは私ひとりだった。
富士御室浅間神社はおじいさまおばあさま方にも、ナウく、トレンディなスポットではなかったようだ。
次回へ続く。
そうだ、富士山へ 行こう その2
河口湖への旅当日。
その日は、それまでのダラダラ4日間よりも大分早起きし、
さっさと身支度を整え、家を出た。
非常に良い天気なのだけれど、風が冷たい。
万全を期してジーパンの下にはタイツとハイソックスと、毛糸のスパッツ(毛玉だらけ)
を履いてきたので、少々身動きが取れにくいが、この格好ならば河口湖に行っても大丈夫だろう。
何せ、念願の富士山を拝みに行くのだ。
絶景の富士山をのぞむ絶好の場所で、小一時間は富士山を眺め続けるつもりなので、
それに耐えうる装備でなくてはならない。
そんなぬかりない装備で、東京駅行きの電車に乗り込んだ。
しかし、朝の通勤ラッシュの上り電車では、そんなぬかりない装備が仇となって、
暑さによって息苦しくなり、ぬかりのなさすぎた厚着にさっそく後悔した。
屋内にいることを考慮して、少しはぬかってみても良かったのかもしれない。
そして、ギュウギュウの満員電車は東京駅に到着。
多くの人々がホームに吐き出されていく。
仕事場へと急ぐ人々の波に乗り、シブくも富士を目指す私(28歳・女盛り)は
バスの発着所である八重洲口に向かった。
その途中で本屋を見つけたので、まだ時間もあるし、一人旅のお供に
一冊軽い文庫本でも購入しようと、立ち寄ってみることにした。
ひととおり店内を眺めていると、
私の大好きな、日本にあるパワースポットを紹介している本を発見。
この私が手に取らないわけがない。
「もしかして・・・」。、
そう。今から行く河口湖周辺のパワースポットは紹介されていないかしらと、
もくじを見てみると・・・。
ありました。
その名も、「富士御室浅間神社」。
「ふじ みむろ あさまじんじゃ」と読んでしまったけれど、
「ふじ おむろ せんげんじんじゃ」と読むらしい。まぎらわしい。
「御室」の部分は私の無知からくる読み間違いであることは認めるけれど、
まさが「浅間」と書いて、「せんげん」と読ませるとはしてやられたり。
この神社は699年に創建されたそうで、武田信玄が、
長女の安産を祈願して書いた「安産祈願状」が奉納されている神社とのこと。
武田信玄ゆかりの神社か…。
私は仙台の人間なので、伊達政宗にかなり肩入れしているが、
そんな私が訪れてしまって良いスポットなのだろうか。
仙台人として政宗を心から尊敬しているし、
彼の生き様は最高にカッコイイと思っている。
まず、あの眼帯がしびれる。
三日月をかたどったあの兜もたまらない。
秀吉に同行しての朝鮮出兵の際、一行に奇抜な格好をさせ、
京の人々の目を引き、「だて者」といわれたというが、
実際は黒を基調としたシンプルなデザインを好んだという。
そんな人々を出し抜くような突飛な発想力に恵まれたアイディアマン
と見られる一方、その実、質実剛健。
シンプルなものを愛したその精神は、
「伊達男」という「派手好き・洒落者」を表す形容では到底おさまりきらない、
本質を見抜く力を携えた「本物の侍」として、私は彼を認識しているのだ。
世が世なら政宗が天下統一していただろうと、本気で信じちゃっている
そんな筋金入りの仙台人なのである。
そんな私がもし、武田信玄にゆかりのある神社に足を踏み入れようものなら、
その中を漂う信玄の魂みたいなもんに
私の中にある政宗への熱い忠誠心を嗅ぎ取られ、
「ええい、お主のような謀反者にはパワーなど与えてやるものか!!ヤーー!!」
といって、パワーを授けてくれないばかりか、
逆に信玄にパワーを吸い取られてしまいそうな気がする・・・。
「え?政宗??あぁ、あの東北の田舎大名のことでげすね?
いやいや、信玄様のご功績に比べりゃぁ、あんな不良大名の
突飛な行動なんて足元にも及ばないってなもんでやんす。
へへっ。お、信玄のダンナ、今日も獅子噛の兜でキマってがんすね。」
と、ごますりつつヨイショの一つでもしてみればいいさ。
あぁ何ていう政宗への不忠行為。
想像しただけでも胸が痛んでしょうがない。
きっとこの胸の痛みは鎖国時代に泣く泣く踏み絵をさせられた
隠れキリシタンが感じた痛みと同様のものだろう。
私も隠れマサムネンとして隻眼の政宗の絵を踏まされるようなものだ。
でも、ここは私がマサムネンであることを察知されてはいけない。
神社にいる間はあくまでシンゲエン(語呂悪し)の体で貫きとおすのだ。
そろそろバスの時間が近づいてきたので、必要な情報はしっかりと頭に
叩き込んだので、パワースポットの本は戻して、そそくさとT・ヒトナリ氏の文庫本を
購入し、近くにあったおにぎり屋さんでたらこのおにぎりとお茶も買った。
八重洲口へと急ぐ。
八重洲南口のバス停ではもうバスが待っていた。
予約した時には満席の表示がされていたけれど、
バスに乗り込んだらガラガラだった。
私入れて10名くらいか。
「出発直前にみんな駆け込んでくるのかしら」
とも考えたが、バスの運転手はそんな駆け込み客を
待つ素振りも見せず、「出発しまーす」という
森田一義の「一旦CMでーす」を彷彿とさせるテンションで
時間ちょうどに10名余りの乗客を乗せたバスを発車させた。
あの満席表示は一体なんだったのだろう…。
「ウチは常に満員御礼でっせ」アピールか。
もしくは「富士山をなめんなよ」という釘刺しか。
そうやすやすと俺らの富士山を拝めると思ったら大間違いだぞ、という。
ちょっくら富士でも見てくっかなんていう甘っちょろい思いつき
で容易く見られるようなシロモノではないぞ、という。
ま、何でもいいや、乗れたんだし、
と気をとりなおして、車窓から外の景色に目をやる私。
本当は朝食を摂っていなかったので、すぐにでもおにぎりを頬張りたい
ところだったが、発車直後に「待ってました!」とばかりに食物に
がっつくのは何となくためらってしまう。
このためらいは何だろう。新幹線に乗る時もそうだ。
仙台駅で買った「温かくなる牛タン弁当」を前にし、今すぐにでも
温かくなる仕掛けのヒモを引っ張り、一分一秒でも早く
牛タンと麦飯のハーモニーを堪能したい衝動に駆られるのだけれど、
新幹線に乗り込んですぐ、しかもまだ発車していない状況で
徐々に温まっていく牛タン弁当の芳香をまき散らすのには
どうしても抵抗を感じてしまうのだ。
というわけで、まずは車内に乗り込んで、荷物をしかるべきところに収納し、
席に座り、「あぁ疲れたわ」みたいな疲労感、もしくは慣れ親しんだ地
との別れを前に孤愁に浸っているような雰囲気を漂わせる。
そしてとうとう列車が発車しても、ここぞとばかりにすぐに
温かくなるヒモを引っ張ってはいけない。
ヒモよりも、車窓から物悲しい顔で外を眺めては、引き続きそのおセンチな
雰囲気を引っ張るのだ。
最低でも2、3分はその状態を保持することが求められる。
「あたくし、牛の舌の弁当のことになんて全く興味がありませんわ」
そんな無言のアピールを周囲の乗客に与えるのだ。
心の中では「牛!舌!麦!飯!」と牛タン弁当への熱い情熱が
渦巻いていたとしても、決して周囲にそれを匂わせてはいけない。
そして2、3分ほどその姿勢を保ったのち、
「あぁ、そういえば」
といった表情、もしくは素振りで、牛タン弁当の存在に気付いたふりをする。
ここで本当に「あぁ、そういえば」などと声を発してはいけない。それは大女優で
もない限り、その発言に変な力みとわざとらしさが含まれてしまう為に、
周囲の乗客に
「あ、こいつ本当は最初から牛タン弁当をずっと食べたかったのに
変な演技をしてやせ我慢していたな!」
と確実に気付かれてしまい、今までの努力が水の泡である。
「大食漢」+「見栄っ張り」というレッテルを貼られた状態で2時間余りを
過ごすというハメになってしまうから注意が必要だ。
新幹線を利用する際と同様の手順を踏み、河口湖行きのバスの中でも
まずは外の景色に目をやり、霞が関を通り、国会議事堂も見えたので、
「むむ、あれが、政治とカネの問題の巣窟ね!」
といにしえから続く政界と財界の癒着に一喝する素振りを見せつつ、
心の中で吹き荒れる「たらこ!おにぎり!にぎりめし!」の嵐と格闘
したのち、バスが首都高に乗ったことを皮切りに、たらこにぎりを
頬張り始めた。
また長くなりすみませぬ・・・。そして次回につづきます・・・。
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そうだ、富士山へ 行こう。
突然、無性に、「富士山」を見に行きたくなった。
正しく言うと、前々から何となく「行きたいな」と思っていたのだけど、
ある日急激に大きくその欲求が膨らんだ、といった感じだ。
その時、私は、今の仕事を初めて以来、何の予定もない7連休
を過ごしていたのだが、これにもちょっとしたいきさつがあった。
本当は、「初海外一人旅」と称して、一人でベトナムに旅行する予定
であった。
「ホーチミンで、フォーを食べ三昧、チェーを食べ三昧、
ベトナム雑貨を買い物三昧、安いマッサージを受け三昧・・・むふふ」
と、色々夢溢れる旅程を妄想していたのだが、それが急に行けなくなってしまったのだ。
飛行機に乗れなかったのである。
一応航空会社の人間なので、安く航空券を購入できる特権を活用し
かなり安くチケットを手にいれることができた。
しかしながら、この航空券、安いのはとても素晴らしいのだけど、
「予約」ができないのだ。
したがって、出発の当日、その便に空席がある場合に限り、搭乗する
ことが可能なのである。
数日前に、某航空会社のホームページで確認したところ、十分な空席
があったので、「こりゃ大丈夫だ♪」とタカをくくっていた。
そして、出発前日、予約は出来ないのだけど、乗る予定の航空会社に
「私、あなたの会社のこの便に乗りたいですよーー」という宣言の電話をするのが必須なので、
お気楽気分で電話をしたところ…、
「空席は残り一席で、既にお待ちになっている方が6名程いらっしゃいます。おそらく無理でしょう。」
と、ご親切にも残酷な現実を告げられた。
「既にお待ちになっている方」というのは、私と同じく、航空会社に属している
人々で、私より先に「乗りたいですよー」宣言を既に済ませた人たちのことだ。
残り1席に対して、それを狙う人々が私含め7名…。
これぞまさしく「イス取りゲーム」である。
いや、本当のイス取りゲームならば自信がある。
自分で言うのも何だが、「ケツ力」には結構自信があるので、私を入れて計7名で、イス取り
ゲームをしたとしたら、かなりの確率で勝利を収められるはずだ。
まずは中学時代に短距離走でならした自慢の「瞬発力」を生かして、
音楽(マイムマイムあたりが相応しい)が鳴りやむのと同時に、イスめがけて
自らの尻を我先にとイスの座面に滑り込ませることができるに違いない。
もしタッチの差で他の人の尻が座面に着地しそう…もしくはした後であっても、
ここは私自慢の「ケツ力」を生かし、ルール違反と言われようが何と言われようが、
「ダルマ落とし」の要領で相手の尻をスコーン!とはじいて、見事私の尻が座面を捉えてみせよう。
だてに「安産型だね」と言われ続けた尻ではないのだ。
はじかれた人に「くっそ~」と睨みつけられたとしても、私は「イス取り
クィーン」として、「ふふん♪」と何事もなかったかのようにやり過ごし、
チケットを手にして颯爽と手荷物検査場へと進むことだろう。
しかし…残り一席の争奪戦は、まさかイス取りゲームで行われる
わけもなく、航空会社サイドで色々な事情を考慮した上で、その一名が選ばれるのだ。
私はその航空会社の社員でもなければ、「乗りますよ宣言」の順番も7番目に
甘んじているわけで、イス取りゲームという「実力」で奪い取るものや、
じゃんけん、くじ引きなどの「運」によって左右される選考方法にて決められない限り、
私に残り一席があてがわれるに値する理由も可能性も全くないといっていい。
こんなことを考えていると、一気に行く気が失せてしまった。
一人旅って気楽でいいですね。
現地でどう行動しようが、どんな旅にしようが、当人の裁量に全てゆだね
られているし、「行く」「行かない」の判断も本人の気分次第なのだから。
まさか、これらの一人旅の醍醐味を「やーめた。行かない。」といった
「旅を軽々と断念すること」で味わうことになるとは思いもよらなかったけれど。
そんなこんなで、行く気をすっかり失くした私は、また先の航空会社に電話をして
「やっぱり乗りません」宣言をして、予約していたホテルもキャンセルした。
前日だったので、キャンセル料金が発生するはずの時期だったが、
『残念ながら、航空券を取ることができず、ホーチミンに行けなくなりました。
そちらのホテルに宿泊するのをとても楽しみにしていたので、とても
残念です。次回ホーチミンに行く機会があった時には、ぜひ、そちらを
利用したいと思っています。本当に残念です。
・・・ところで、キャンセル料金はおいくらですか?』
という内容で、キャンセル料金にびくつきながらメールを送ったところ、すぐに返事がきて、
『そうですか。Ms.小林。とても残念です。キャンセル料金は頂きません。
キャンセル料金のことを心配してくれてどうもありがとうございます。
また次回ホーチミンシティにいらっしゃる時にはぜひ当ホテルをご利用ください。
楽しみにしております。 ●●ホテル』
という大変親切で迅速な対応だった。泣きそうになった。
そういえば予約した際もレスポンスがとても早く、心温まる対応をしてくれたのだ。
「高級ホテルではないけど良質なホスピタリティを感じるなぁ~ホテルって
設備も大事だけど、最終的には人だよね~。」
と宿泊予定だったホテルの対応に一人感嘆していた。
私なんて、お客さんに何か頼まれても、忙しいと
「少々お待ちください」
と言っては、すっかり忘れて、少々どころか大分お待たせした挙句、
「あ!!」と思いだし、すごすごと
「も~~し訳ございません~~~!!」
と頼まれたものを持って行っても、
「もう他の人にもらったからいいよ(プイッ)」
と言われ、「もうお前には何も期待していない」といった表情でお客さんに
見限られてしまうこともしばしばだというのに。
このホテルの迅速かつ親切心溢るる対応を学べただけでも、ベトナム
一人旅を試みて良かったとしよう。断念したけど。
このような経緯で、何の予定もない7連休を謳歌するハメになったのだった。
最初の3日間くらいは、部屋の掃除やこまごまとした雑用をこなし、
読書をしたり、図書館や本屋をはしごしたりと、かなりゆったりとした日々を
満喫して過ごすことができた。
しかし、何も予定のない日が4日目ともなると、だんだん、退屈になってくる。
そんな時に「富士山へ行きたい」欲求が心の奥底から湧きあがって
というわけなのだ。
「富士山」が見えるところはたくさんあるけれども、
色々調べてみたところ、その中でも「河口湖」に行ってみたいと思った。
富士五湖の中でも一番栄えているらしいし、東京からのアクセスも
よさそうだからだ。
そして、ベトナムの代表的麺料理「フォー」を食べられなかった代わりといっては何だが、
せめて山梨の名物麺料理「ほうとう」を食べてみたいと思った。
しかし、色々富士山旅行について思案してみるも、やはりここは一人旅。
「でも寒いしな~。土地勘ないしな~。お金も月末で厳しいしな~。」
とあれこれ考えていると、どんどん腰が重くなってきた。
挙句の果てには、「富士の樹海に迷い込んで、死んでしまうかもしれない」
といった不吉な予想までして、「やっぱりやめとこ」と、ベトナムに次いで、
近隣の山梨への旅までも投げ出すことになった。
「この7連休は神様がくれたプレゼントだ!体を休ませろという。
なので、引き続きダラダラしよ~っと。」
と、「河口湖行き」は完全にあきらめ、7連休をダラダラし通すことを胸に誓った。
そしてお腹が空いたので、昼食を用意し、ソファに座り、何気なく
テレビを付けた。
そして、軽いショックを受けた。
ヨネスケの「突撃!隣の晩ごはん」のコーナーがやっていて、
何と、ヨネスケが突撃していたのが、河口湖のある「河口湖町」
だったのだ。
河口湖への旅を断念した直後の、ヨネスケによる河口湖町突撃
だったので、あまりの偶然に驚き、口があんぐり空いてしまった。
テレビにくぎ付けになる。
富士山のふもと河口湖町でも、ヨネスケはいつもどおり我が物顔でやりたい放題だった。
それでも河口湖町の人々は「いや~恥ずかしい~~」と言いながらも、
自らの夕飯をヨネスケに提供したり、勝手に台所を漁らせたりしている。
みな巨大しゃもじを持ったヨネスケ様を前にしたら、ひれ伏すしかないのだ。
とある家では私の食べたいと思った「ほうとう」もあり、また次の家の晩ごはんを
目指し、歩くヨネスケ様のバックには雄大な「富士山」も映っていた。
それらに興奮し、「やっぱり行きたいなぁ」と一旦あきらめた考えが翻りそうになった。
そして考える。
「この偶然は何なんだろう。やはりヨネスケ様のように私も河口湖へ
突撃せよとの突撃命令なのだろうか…。巨大しゃもじはないけど…。」
と幾度に渡って自問してみた。
それでも、そこは一人旅。
「やっぱりお金がないし。やめとこ。」
という結論に行きついてしまった。
私の「腰の重さ」はかなりのものらしい。
「ケツ力」はあるが、「尻軽」ではないようだ。
偉大なるヨネスケ様も私にとっては、桂 米助という落語家の一人
にすぎなかったというわけだ。
ヨネスケの河口湖町突撃にも、「お金がない」ことを理由に屈しなかった私に、
引き続きダラダラ過ごしていたその日の夕方、姉から電話がかかって来た。
何でも、祖母が私の夢を見たようで、そのことを夕飯の席で披露していた
とのこと。その内容を伝えたく、電話をかけてきたようだ。
姉:「おばあちゃんが、病院の待合室で順番を待ってたんだって。」
私:「うん」
姉:「したらね、うつむき加減であんたが診察室から出てきたんだって。」
私:「え!私が?どうしたの?私。」
姉:「うん。んでおばあちゃんが驚いて、あんたに声をかけたんだけど、
声をかけられたあんたはびっくりして、顔を背けて、そそくさと逃げて
行ったんだって。」
私:「えぇ!!なに!?私なんか命に関わる重病だったの!?怖い!!」
姉:「うん。おばあちゃんもすごく心配になって、出てきた看護婦さんに
『うちの子はどうなんですかっ??』って聞いたんだって。」
私:「・・・うん・・・(ドキドキ)」
姉:「そうしたら看護婦さんが
『私、あんなにすごい便秘の人初めて見ました!!』
って言ったみたい。あんた大丈夫?」
私:「・・・(大爆笑)」
私の尋常ではない便秘を心配しての姉からの電話だった。
人目もはばからず、大爆笑してしまった私。
幸い、看護婦さんが驚くほどの尋常ではない便秘に苛まれてはいないし、
どちらかと言えば快便に近い状態なので安心してほしいということと、
祖母にもよろしく伝えてほしい旨を伝え、電話を切った。
それにしても、何て親不孝・・・いや祖母不孝者なのだろう私は。
地元の仙台を離れ、一人千葉にやって来ては、
「7連休だ~ダラダラするぜ~」
と言って、フラフラしている身である。
現実世界でも、十分心配させておきながら、夢の中でまでも、祖母を
心配させてしまっていたとは。しかも「通院するほどのただならぬ便秘」
という理由で。
あぁ、おばあちゃん、不孝者の孫でごめんよぉ。
占いによると、婚期は早くても次の冬季五輪の年に訪れるらしく、
最低でも4年はお待たせしちゃうようでごめんよぉ。
心の中で、私を遠くから常に気遣ってくれる祖母に対して、
詫びの気持ちでいっぱいになった。
そんな中、「占いと言えば・・・」と、私は「夢占い」の存在を思い出した。
夢占いとは、
夢に出てきたものや状況を元に、現在の心理状態や近い未来に起こる出来事などを判断する作業のことである。(Wikipedia参照)
というもので、もしかしたら、祖母の見た「孫の便秘の夢」も
何かを象徴するものなのかもしれないと思ったのだ。
というわけで、早速「便秘」の夢が象徴するものを調べてみた。
そうしたところ、便秘の夢は、
「お財布のヒモを固く締めていることを表し、ケチになっていることを象徴する」
というものらしい。
「便秘」だけに、「ウン(運)が付く」といったような縁起の良い夢では
残念ながらないようだ。
「お財布のヒモを固く締めている…私はケチになっているということか…」
と思ってはみたものの、私が便秘になる夢を見たわけではなく、あくまで
「祖母の夢の中で私が便秘になっていた」ということなので、この夢占いが実際
あてはまるかはわからない。
けれども、
「月末でお金ないし・・・」
と言って、富士山行きを諦めた私には、何か胸に響くものがあった。
「これは、やはり、お金がないなどとつべこべ言わずに、『富士山へ行け』
という神からの啓示なのかもしれない」
そう思った私は、遂に、富士山行きを決意した。
祖母にひどい便秘で苦しむ孫の夢を見させてしまったのに、それでも富士山行きを
断念するなんて、オンナがすたるわ!!
こんな心意気が生まれたのだ。
というわけで、早速私は、翌日の「東京駅-河口湖」間のバス
をインターネットで予約した。
早い時間の便は既に満席で、10時10分発の便に辛うじて、一席
空席があったので、慌てて予約した。間に合って良かった。
ベトナム行きの飛行機は予約できなかったけど、山梨行きのバスは
予約できたことに、少し感動した。
「あぁ、予約できるって素晴らしい。席が保証されるって素晴らしい。」
「予約」という制度が存在することに、謹んでお慶び申し上げたい心境だった。
現地の明日のお天気もよさそうだし、ワクワクしてきたぞー。
それにしても、もし本当に、「ヨネスケ」や「祖母の夢」の件が、
神からの「富士山へ行け」という啓示だったのだとしたら、かなり回りくどい方法である
ことは否めないにしても、
「神様も案外とお茶目さんだなぁ」と思わずにはいられなかった。
次回に続く。
とうとうスタート!マラソン10KM
このマラソン大会のために、海岸沿いの道路が封鎖されており、その道路上に
スタート地点も設けてある。
スタート地点に行くには、更衣室などのテントがある高台から坂をくだって
少し歩かなければいけないようだ。
それにしても、人数の多いこと。
10KMの部は男女混合で行われることもあって、何千人という参加者たちが一斉に
スタート地点を目指してぞろぞろ歩いて行く。
もう少しでスタートの時間なのだが、前がつまっており、なかなか前に進めない。
そんな状態に少しやきもきしていると、だいぶ前の方で
「わーー」
という歓声のような声が聞こえてきた。時間をみるとまさにスタートの時間であった。
とうとう10KMの部は始まったのである。
それなのに相も変わらず集団のノロノロ歩きは変わらない。
なかなかスタート地点が見えてこない。
ロクに練習もしていないし、まさか順位を競うつもりも毛頭無いのだが、
何だろうこの苛立ち、そして焦燥感は…。
同じ戦いの場に挑むというのに、ある一方の人々は既にスタートを切り、
もう一方の人々はまだスタートを切れず既にスタートを切った人々の後ろ姿を指を
くわえて眺めているほかないという現実・・・。
ここに人間社会における不条理さを感じ、そしてその縮図を見た気がした。
そんな現実を憂いながらも、私の中で「焦り」はどんどん大きくなる。
これは、とうの昔に忘れ去られた私の中の「アスリート精神」が
目を覚ましたということか。
アスリート精神よ、今さら目覚めてどうする。
次回は、大会3カ月前あたりにはボチボチ起きだしていておくれ。
きっとその頃には私も、くるぶしソックスにスパッツを合わせて、
いっぱしのランナー風を気取って君の目覚めを待っているから。
と、色々な思いが入り混じり、心中穏やかではいられなかったが、
だんだん集団の動きが早まってきたことに気がついた。
そして、早歩きから、今度はゆっくり走りになり、
「え?え?」ととまどいながらも周りのペースに合わせて走っていると、
いきなりスタート地点が見え、あっという間にスタートを切ってしまった。
あっけない10KMマラソンの幕開けであった。
中学生の時の陸上部では短距離専門で走っていたので、「スタート」と言うと、
シン…とした静けさの中、「位置について。用意…パン!!」
という、常に大変な緊張感に満ち満ちた雰囲気で行われていた。、
なので、このように「わけのわからぬうちに」という気の抜けたスタートは初めてであった。
こんなことなら、記念に「欽チャン走り」をしながら、「なんでこーなるのっ!」
とでも言い捨てつつスタートラインを割るぐらいのことはしたかった。
とにもかくにも、本当にスタートを切ってしまった。今度こそ、後には引き返せない
戦場にとうとうに足を踏み入れてしまったのだ。
最初は同期たちと
「キャー始まったよーー」
とワーワー言って、はしゃぎながら走っていたが、長距離という競技は、自分より
早かろうが遅かろうが、他人にペースを合わせて走るのは一番疲れるものだ。
というわけで徐々に集団はバラけていき、
「あぁマラソンって本当に孤独との戦いなんだなぁ」
ということに気付かされると同時に、身が引き締まる思いだった。
最初の3KMあたりまでは、自分の思っていたペースよりも幾分早めな
ペースで足が進み、「案外イケルかも」なんて10KM完走への淡い期待
生まれたが、私の今までの最長走行距離3.5KMをすぎたあたりから
だんだんと雲行きが怪しくなってきた。
身体、そして脳というのはとても正直で、「3.5KM超え」という未知なる
領域への挑戦に対して、私の性格の中で大きな割合を占める
「小心者」という特徴が徐々に発揮され始め、尻込みしているのが手に取るように
わかる。
「私の足よ!そして脳よ!今はその小心さを出している場合じゃない!
勇気を出すんだ!歩を進めろ!」
と自分自身を叱咤激励してみるも、
「えぇ~~…でもぉ~~…」
と私の足と脳は情けない反応を示すばかり。
心なしか走るペースも落ちてきた気がする。
これが自分の足と脳なのかと思うと、不甲斐ない気持ちでいっぱいになった。
そんな時、ふと自分の足元を見た。
そして、そこには、ふくらはぎの一番太い場所にもかかわらず、スタートする前と
同じ位置から、まったくずり落ちていない「チャンピオンの靴下」があった。
同期からも散々
「ゴールする頃にはずり落ちて、くるぶし丈になってるよー」
と笑い物にされていた私の「チャンピオン」。
中途半端な丈で、周囲から浮いてしまった私の「いたたまれなさ」から、
その存在を恥にすら感じてしまっていた「チャンピオン」。
でもそんなチャンピオンは、笑われようとも、ぞんざいな扱いを受けようとも、
ものともせず、足の一番太い場所に必死にしがみついて戦っている。
「ソックタッチ」などの糊でとめているわけでもない。
次々に襲いかかる振動の中、一番太いふくらはぎからずり落ちないように、
必死にしがみついているのだ。
それはチャンピオン自身の「ずり落ちてたまるか」という並々ならぬ根性と、
「チャンピオンとしての名がすたる」というチャンピオンとしてのプライドがなせる技だと痛感した。
そんなチャンピオンの姿に感動した。
少し目頭が熱くなった。
そしてその存在を恥に思った自分こそを恥じた。
「チャンピオンが必死で戦っている!チャンピオンは私と一緒に走ってくれているんだ!」
チャンピオンの無言で戦う姿が、私を一気に元気づけた。
それからの私には、相当に苦しかったのは事実だが、
「絶対完走してみせる」
という前日まではそのカケラすらも持ち合わせていなかった
完走への強い「執念」が生まれた。
寝ぼけまなこだった私のアスリート精神も本格的に目が覚めてきたようで、
少しでも順位を上げようと、前を走る人を次々と標的にしていった。
追い抜いたり、追い越されたりしながら、そして時には歩いたりしながらも、
ゴールを目指しひたすら前へ進んでいった。
それでも、8kmあたりでは、はっきりと「死」を覚悟し、「もうムリ!!」と、投げ出してしまいたい
気持ちになった。
大会終了後に、8kmあたりで力尽き、屍と化した私の姿を、
同期と大会関係者の捜索によって発見される光景が脳裏に
浮かんでしまうほどに、強固なネガティブ思考に苛まれた。
しかし、それを乗り切れたのも、やはり「チャンピオン」のおかげだった。
チャンピオンはそんな時でも、先とは寸分違わぬ姿で私のふくらはぎに
しっかりとしがみついていた。
共に戦っていた。
それが私への「無言のエール」となり、10KM完走への原動力となったのだ。
そして、そして、とうとう私はチャンピオンの力強い後押しのお陰で、
人生初の「10kmマラソン完走」という快挙を成し遂げることができた!!
最後まで私と一緒に走ってくれた「チャンピオン」の存在には感謝の気持ちで
いっぱいだったし、結局最後までずり落ちなかったその勇姿、
そして健闘を称えずにはいられなかった。
また、自分で自分をほめてあげたいとも思ったし、その4倍の距離を
走り抜いた有森裕子はもっとほめてあげたいと思った。
彼女が銀メダルを獲得した当時の私の彼女に対する「ほめ」は甘かったと、
10KMですらこんなにもくたばってしまった私は自責の念にかられた。
苦しいながらも、眩しい程に太陽に照らされて煌めく海岸線を
潮風を受けながらのマラソンは、終わってみると最高に心地よかった
ように思えた。
最初は苦痛で仕方なかったし、ウェア選びで失敗してことも相まって、
参加することを大いに後悔したこともあった。
それでも「大会」という緊張感の中、美しい景色と快い風に吹かれて
疾走できた「快感」、そしてゴールラインを割る「喜び」を味わうことができたので、
この10KMマラソンは、私にとってかけがえのない経験となった。
この苦しみぬいて走り終えた後の「快感」が、続々とマラソン愛好者を作り出すのだろう。
単なるマゾヒストの集う大会では決してないのだ。
そんな私の成績であるが、
「順位: 3315位/3786名」
「記録; 1時間21分14秒(制限時間1時間30分)」
という大変輝かしい記録であったことを最後に記しておこう。
来年、十分トップを狙える位置にこぎつけたことを光栄に思う。
そして私が来年、再度挑戦するにあたりまずしなければならないことは、
「チャンピオンのくるぶしソックスを探し出し、購入する」
ということであるのは間違いないようだ。
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